PTAの原点とは?

PTAは戦後にアメリカから輸入されたものですが、それ以前のわが国に保護者が学校にかかわる組織がなかったわけではありません。戦前の学校後援組織としては「父兄会」というものがありました。「父兄」とは字で書かれる通り、「父」もしくは「兄」のこと。家父長制の時代には、「父兄」が家庭内のすべての事柄に責任を負っていて、学校や教育に関する問題も関わるのが常識だったのです。

現代ではPTAといえば、母親が中心となる組織と相場が決まっています。「もっと父親も参加してください」と宣伝するPTAもありますし、「オヤジの会」を作って男性参加を推進する学校もあります。今と戦前とではまったく様相が逆だったのです。

女性の参加もアメリカから輸入された!?

PTAという組織はアメリカによって導入されました。戦後のわが国には、法律を始めさまざまなシステムが進駐軍の指導の下に構築されていきました。もちろん、わが国の優秀な官僚や政治家たちは、何でも米国の主張を受け入れたわけではありません。固有の文化や伝統があるわけですので、圧力をかけられても断固として受け入れなかったものもあります。

PTAという仕組みについても、文部省は受け入れを拒否しています。伝統的に「父兄会」という組織があり、学校と保護者とをつなぐラインは既に構築されているから、という理由でした。これに対してアメリカは、「女性(母親)が参加する仕組みはない」と痛いところをついてきました。日本の教育システムは母親がどこにもかかわっていない点が弱点だ、と指摘されてしまったのです。戦前のわが国では女性が教育にかかわるなどと言うことは考えられないことでした。しかし、家父長制が廃止された戦後の社会においては、女性も一定の地位を持ち、男女が平等に社会参加することが求められました。こうした流れの中で、わが国は「PTA」をスタートさせざるを得ない状況になっていたのです。

短期間に全国に広がったPTA

昭和21年に初めて導入されたPTAは、あっという間に全国に広まります。昭和22年には文部省が「父母と先生の会 ー教育民主化の手引ー」を学校に配布し、全国で社会教育研究大会が開催されました。この大会を通してPTAが認知され、昭和23年には普及率が84%に、昭和25年には98%とほぼすべての学校に設立されました。

それまで、家庭に縛られていた女性たちは学校にいそいそと出かけて行きます。先生たちとおしゃべりし、社会参加をすることで大きな刺激を受けたのです。「民主化」の風も心地よかったことでしょう。女性たちの間に、「ここは私たちの学校だ」という意識が広がり、PTAは活気あふれる組織として築かれていきました。

もともと日本の父兄会は男性だけの組織でした。それが戦後の民主化の流れの中で、女性の活躍の場としてPTAが成長し、いつのまにか「女性中心」のものとなっていったのです。

イクメン時代!
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