知ると教えるは別のもの!?

先生に対して、「教えてあげよう」とするオヤジは少なくありません。自分が「知っている」からと、上から目線で語るのですが、知っていることと教えることは別物です。オヤジたちの中には、すこぶる歴史に詳しい人とか、文学に造詣が深いとか、数学科の博士号を持っているとかいう人がいて、その中には「先生よりも俺の方が知識を持っている」とばかりに教育を語る人もいます。「先生は○○大学だが、おれば△△大学で、偏差値は俺の方が上だ」と自信満々で教育を語ったり、教師を指導しようとしたりします。

知識を持っていることは結構なのですが、教育を語ろうとする人に限って「知っていれば教えられる」と勘違いしています。これは大きな問題です。ビジネスの世界では、商品知識を一番持っている人が優秀なセールスパーソンになるわけではありませんし、政治の世界では、知識を溜め込んだ学者が優秀な政治家になれるわけでもありません。運動理論に詳しい人が優秀なアスリートになれるのであれば、厳しいトレーニングを積む人はいなくなるでしょう。「知っている」ということと「実践する」ということは、別物です。「教える」ことも同様です。

知っているだけではダメなのは何故か?

例えば、運動理論はどのように筋肉を動かせば速く走れるとか、高く飛べる、力が出せるといった理屈です。それを実行するには、運動神経やトレーニングを継続する根性も必要です。理論を知っていても基礎的な力と根性がなければ、アスリートにはなれません。そうでなければ、受験勉強の得意な人は、スポーツでも活躍できることになります。掃除の仕方を知っていても、掃除をしようとする気持ちがなければ部屋はきれいにはならないのと同じです。

良い政治家になるには、政治や法律に詳しいだけでなく、人に訴えかける話力やカリスマ性も欠かせません。市民のために身を粉にして働こうとする意思も必要です。良いセールスパーソンには、客からニーズや課題を引き出し、その解決策として自分の勧める商品が最適だと納得させられる力がいります。良いセックスパートナーになるには、たくさんエロ本を読むだけでは不足です。相手に合わせた、工夫と努力が必要です。成功するためには、知識とは別の力が求められるのです。

教師には教師のテクニックと魂がある!?

教育現場にも全く同じことが言えるでしょう。数学の博士号を持っていても、数学を分かりやすく教えるための知識を持っていなければ教室では役に立ちません。教員免許を持っていても、実際の現場で生徒に接し指導した経験がなければ、運転のできないペーパードライバーと同じです。子供に学問を教えるためには、指導力とテクニック、経験が必要です。

ただ、それでもまだ足りません。最も大切なのは、教育に対する情熱と柔軟性です。熱意がなければ、それは生徒に伝わり、「魅力のない先生」としてゴミ箱に捨てられます。教え子のカラーはクラスごとに異なりますし、世代が変われば生徒も変わります。違いや変化に合わせて、巧みに教え方を変える柔軟性も必要なのです。

セックスだって本で学ぶだけではうまくはなれません。実践を積んでテクニックを向上させなければ、女性を悦ばせることはできないでしょう。教育も同じです。

イクメン時代!
オヤジは学校に行くのが当たり前

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