PTAはどう始まった?

PTAとは、Parent Teacher Association の略で、直訳すれば「親と教師の会」です。19世紀のアメリカで発祥し、最初は二人の母親の呼びかけで「全米母親議会」として誕生したと言われます。「母親議会」と名づけてスタートしたものの、その会合には父親や教師も大勢参加したために後に「全米保護者教師議会」変更され、現在のPTAへと発展しました。わが国には終戦後に米国から輸入され、民主化の波に乗って全国に広まりました。

日本では一般的に母親中心の組織ですが、本家米国でも70年代頃までは同じだったようです。現在では父親の参加が増えており、夫妻で参加するのが普通になっています。わが国においても「おやじの会」などの名称で男性参加型の会合が増えてきており、将来的には夫婦そろって参加するのが常識になるかも知れません。

昭和21年に群馬県で誕生しました

わが国のPTA第1号は群馬県で生まれています。昭和21年に邑楽郡(おうらぐん)小泉小学校で設立されました。同年4月に米国第1次教育使節団(CIE)が来日し、アメリカPTAの資料が文部省に持ち込まれていますが、使節団のひとりアイスマンが他のメンバーより1ヶ月早く来日して、同小学校でPTAの指導をしたと言われています。当初は任意参加で、学校を通じて各家庭に呼びかけ、地区ごとに勉強会を開いて教師と親とが民主教育について話し合ったそうです。

PTAの当初の活動は、まず、民主的な教育を保護者に行うことが目的だったと言えるでしょう。労働ストライキが起こったときには、ストライキの意味や目的なども徹底して議論されたそうです。こうした経緯からPTAは政治的な色彩をおび、60年安保、70年安保などの学生運動にも影響を与えたと考えられます。

現代のPTAは政治的な色彩を帯びてはいない!?

戦後から60年代ころまでのPTAを経験してきた人たちの中には、現代のPTAを「ふがいない」と感じている人も少なくないようです。もともと民主化教育を根っこにスタートしているため、PTAとは「教育集団である」という認識が強く、現代のようにほとんど教育にタッチしない姿は「変容した」と感じられるのです。

しかし、そのような「PTAを教育集団」と捉える考え方は、むしろわが国独特のものであり、世界的に見てもそうした色彩で運営されている組織はほとんどありません。国によって活動内容は異なりますが、教職員や学校の運営をサポートしたり、施設拡充などの環境改善の応援、各種行事の企画実行などをメインの目的としているのが一般的です。変容したのではなく、本来ある姿に近づいたと考えるべきでしょう。

わが国におけるPTAは昭和21年にスタートし、当初は民主化教育を目的とした教育集団という位置づけでした。現代では学校のサポートや行事運営などが主な役割となっています。母親だけでなく父親の参加も徐々に増えつつあります。

イクメン時代!
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